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Twitterアカウント(@TDIyNT0BAID9mI9 )のブログです

運営に付箋貼る気持ちでやってます


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しっかり見ず解像度低いままだから、モンスターに見えているのでは?

ハッシュタグアクティビズムは危険」みたいな論、論旨は理解しますが、私は自分が実際に(2022年の春頃に、「これ以上個人で対策するなら、こっちの身元はある程度バレる前提でやるしか無いのか?秘匿でやれんのこれ?」となっていたので)「マジで私個人ではこれ以上しんど…」って途方にくれてた時に、

しかも私を擁護してくれている方や、私への暴言を諌めたりしてくれている、言うたら赤の他人にも関わらず私側に立って発言してくれている方々に対してさえ脅迫や暴言が投げつけられていて、先も見えなくて、そういう時に、

#映画秘宝の被害者への二次加害に抗議します

ハッシュタグで実際に自分が救われてるので、私にはハッシュタグアクティビズムについての成功体験があります。

 


今回の左右社への抗議についても「#」のおかげで、私が日々矢面に立たずに済んでいるという気持ちがありましたし、もしこれハッシュタグが無かったら「ブログ以外のSNSでも(自分で)もっと発信しなきゃ」って消耗してたと思うんですよね。

誰かひとりに背負わせるのでなく、その時言える人が#つけて参加する社会運動、私は自分が救われている実体験から好意的に受け止めています。

私から見ていると、「#」はそれぞれがひとりひとりの個人の意思で発信されてる意見なので、それらは「誰かがやらせている」ものでも無いし、ひとかたまりのモンスターでも無い。という認識が私にはあるので、例えば書評家の方が言っていたような「『正義』の人たち」みたいな呼びかけは「雑では?」と感じます。

 


真魚八重子「心の壊し方日記」では

・加害者にされてしまった者が叩かれること

が「オーバーキルされ」「正義の側に立っている免罪符」等の言葉で表されており、イメージとしては

・「(免罪符を得て暴徒と化した)群衆が個人を殺す」

を広義というより私小説的な個人の体験として描いているので、私としては「…ここで暴徒モンスター化されてるの、私のこと助けてくれた人たちのことも指してません?」って読んでて感じたんですよね。

怒りです。

 


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私は11月5日頃〜今ままでの1ヶ月くらい、「心の壊し方日記」に追われています。

ブログ書いて声上げるの含め自分で勝手に忙しくしているのですが、でも「泣き寝入りは絶対にしない!!!!!(怒り)」だったのでしょうがない。

何のためにやってるかと言うと「自分の自尊心(尊厳とか人権)のため」です。

 


しかし、ここまでの短期間の成果で考えると

・出版社(左右社)の対応は私が話している内容に答えていない
と感じているので、
「不誠実だな」「説明させて、その上で対応しないのはこっちが労力を費やしてるだけに無力感が増してモラハラのやり口だな」
と思っていて、単純に「自分が尊重されていない」と感じているので、出版社や著者の方の対応については今のところ私の自尊心が削られてるだけって結果に終わっているのですが、これはあくまでも現時点の結果としての話です。


去年からのことを考えても、「映画秘宝」の関係者の方々に対して私は今でも自分が恨まれていると感じていますし、別に「良かった良かった」では終われていなくて「まあ…こんなもんだよね!」なのですが、

それでも長期的スパンで見れば、私が去年やったことは無駄では無いと今は思えています。

 

すでに世に出ている今ある本(「心の壊し方日記」)を「無かったこと」にはできないので、存在している本に対して、私は「その本の倫理的誤りを正して欲しい(※ノンフィクションとして販売しないでほしい)」と思っていて、当然「今存在している本にもフィードバックしてほしい(※書籍の中にその点を記載してほしい)」と考えていますが、本そのものへの出版社側の対応は現時点では無いです。

しかし、現時点でのAmazonレビューの様子だけ見ても私が初めて見た時(2022年11月初旬)とは様相が違いますし、「本そのもの」には何らの影響を及ぼせなかったとしても、その本を見る人や読んだ人に対しては、多少なりとも働きかけができたのかな、と感じていますので、自分がやったことは(短期間の成果として考えても)無駄では無かった。
って思っています。

 


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Twitterの🍙アカウント(@TDIyNT0BAID9mI9)は、そもそもは「映画秘宝DM炎上騒動の経緯説明」のために作成したものですが、最近は永遠に鍵アカになってしまった本アカの代わりに普通にアイドルの話をしたりドラマの感想を話したりするアカウントとしても利用していました。

「心の壊し方日記」編集の方や著者の方が最近の🍙アカウントを見ていたとして、「元気そう」って感じたとして、平気そうにしてる、とか趣味の話してる、とか「笑ってる」とかで、「勝手にそっちが『大丈夫』って判断するな」って感じたんですよね。

 


まあ実際は本気で「被害者」に対して何も思ってないからあの本出せてるんだと思うし、本出す前も🍙アカウント見て「元気そう」なんて思うはずもなく、そもそも🍙アカウント自体を見ていないのでしょうし、「出版」の方々は「心の壊し方日記」について左右社や著者の方から私に対して何の確認もないこと等を「問題無い」って判断してるのだと思うのですが、今現在を生きてる人間の私は実際にめちゃくちゃになってるから、「問題なくない」って声あげている訳で、「出版では、」とか「法律では、」とか、そういう道理?みたいなのを、実際「問題なくない」状態になってる本人である私に言われても?

実際に問題ある状態だからこそ既に声を出している人に向かって「問題ないです」って教えてくれるのは滑稽じゃないですか?

 

 

「問題ない」なら、なぜ?
じゃあ、私の今の状況は?何で?起こってるの?

 


「家族についての同じような悩みを抱えている方にとっての支えになると考え、出版」された意義深い本に訂正の必要が無いのなら、
今の状況は、あくまでも私に問題がある、という結論になりますか?
本文を書き換えろとは全く思ってなくて、ただその本の「ノンフィクション」が私の知っている事実とは異なるので、その前提条件を読者に伝えてほしいです。それとも「悩みを抱えている方にとっての支えになる」ならば、事実と違っていてもノンフィクション扱いにして問題ないですか?


明らか自分がしんどくなるような事に、執着してても自尊心が削れてくだけなので、生きてく上で距離置いたり、執着しないようにしてるだけで、「忘れた」では無いんです。
今あるのは「自分の中で折り合いつけてやっていたのを、メチャクチャにされてるな」って怒りなどです。

 


私が自分をコントロールするのはやれるから、私に起きてる事は、私が自分で何とかします。
出版社・著者の方にそれぞれ起きている今現在の状況は、出版社・著者の方のそれぞれの責任のもとで起こっている現実ですよね。


例えば、著者の配偶者の方が私に対して暴言を吐くのは「著者の配偶者の方の責任」で、著者の方の責任でも無いし、私の責任でも無いです。
映画秘宝」の今現在の状況は「映画秘宝」関係者の方々の責任だし。

 


マジで私のせいにしないでほしい。


私はモンスターじゃなくてただの一般人です。

あと一方ではモンスター扱いしながら一方では都合よく「ただの一般人」の声だから、って無視して終わらせてるつもりなら、私はそれを見てて、決して忘れないので。

そっちも自らの文責を味わっててください。